『水路上観察入門』に記した、日都産業株式会社さん制作の水車型公園遊具「スイシャジム」。
その遊具を探す旅第一弾はこちら。出会いは五反田、所在を教えていただき「探す旅」に出て最初に見ることができたのは、神奈川県茅ヶ崎市だった。
基本的に「暗渠をたどる」行動ばかりしてきた自分は、こんなにひとつの公園遊具を意識したことはなかったし、「探す旅」に出てみると、見つけたときの喜びの深さが並々ならないこともわかった。
しかも、スイシャジムは新しく製造されることがないから、早く見つけなければ、どんどん失われてしまう。だって、こうしている間にも、撤去されているかもしれないのだ。
(林丈二さんとトークをした時に、林さんが古いマンホールをとにかく急いで見つけなきゃと思って歩いていた話を伺った。たぶん、それと近い気持ちなのだと思う。)
そしてついに、待ちに待ったスイシャジム現存情報を、Twitterで教えてくださる方が現れた。
ニノニノコさん。すごい!前橋に!!!
日帰りで行ける距離なのも大変うれしい。
すぐにでも飛んで行きたい。
しかしながらあれこれ予定が詰まっていたため、少し時間がたってしまった。すると、
前橋にもう一台あると・・・!!
ニノニノコさん、神・・・!
情報を投稿してくださったけんいちさんにも深く感謝である。
この公園アプリparkfulというのがまたすごい。公園遊具の情報をやりとりできるのだ。
もとは、公園で子どもを遊ばせる親御さんがターゲットなのだろうか。遊具情報と地理情報があるわけで、公園遊具マニアが活用しまくれるアプリに違いない。
今回の一件で、もう、パークフルさまさまである。
ニノニノコさんとわたしのやりとりも無事捕捉されていた。
けんいちさんとニノニノコさんとのやりとりも。
パークフルさん、こんなに素敵なアプリを作ってくださって、本当にありがとうございます。運営お疲れさまです!
さて、自分がすべきことは、現地にゆき、地理情報も含めて確認すること。現存スイシャジムなのだから、なるべく早く見に行かないといけない。
前橋市の古地図を得、目を通しておく。今回教えていただいた2台は、いずれも前橋駅の南側にある。かつての前橋市は、前橋駅の南と北でだいぶ様相が異なっていた。北側が市街地および官庁街で、南側は田園地帯。利根川をはさみ、両側にたくさんの水路が南北に走っていた。
そんな場所が宅地化されて、いま、スイシャジムがある。胸が高鳴る・・・
梅雨に入ったが雨予報のない日に、行ってきた。
初めて降りた、新前橋駅。
レンタサイクルを借りて、まずは「上の宮幼児公園」を目指す。
新前橋から南側へ向かっていく。前述の「南側」の田園風景の名残か水路が多く、道路をいくつも水路が横切っていった。
とりわけよかった景色がこれ。
水路、田圃。頭上で鉄塔が交差しているのがたまらない。
さて、ここから少し進めば、目指す公園だ。
あった・・・!
上の宮幼児公園。
これは、カラフル!!
草の生え方からすると、滑り台よりは遊ばれている・・・ような、気がする!笑
それにしてもこの公園の形は、すごく不思議だ。地図に載る三角形よりもさらに微妙な丸みがあり、残余地っぽい。川跡が掠っていたりはしないだろうか。
マピオンによる現在地。
スーパー地形の今昔マップで見る(赤が現在地)と、
さらに時代を遡ると、
うーん!どうだろうな、これ。
水路をあらわす線は見当たらない。
しかし、この縮尺だと細い水路は省略されてしまうのだ。この後図書館にも行ったけれど、望む縮尺の古地図は得られなかった。ここにも水路があったかも?説は、捨てきれない。
しかしもっと注目すべきは、右上方向に鎮座する水車マークである。
この公園、水車跡が近い。
試しに水車跡の現在地に行ってみると、新しい家が数件たっていて、その裏にある空き地だった。滝川から取水された水車堀があったはずだが、その痕跡も感じられない。
ものすごく都合よく考えてしまえば、上の宮幼児公園のスイシャジムは、この水車の魂を継承しているのかもしれない。(市役所に聞いてみようかな、、、)
さてさて、次にも行かねば。
前橋にはもう一台スイシャジムがあるのだ。なんてすごい街なのだろうか。
次なる公園、薬師公園を目指す。
ありましたー!
こっちは草が刈られていて遊びやすそう。
嗚呼、良い色だなあ。
ペタペタ触ったり、腰掛けたりした。
今回は相方にも来てもらったので、「スイシャジムとわたし」の記念撮影もしてもらった。とてもうれしい。
この薬師公園と水路および水車の関係は?というと、
マピオンで見るとここ。
ついで、今昔マップで見ると、
この赤い点が薬師公園で、時代を遡ると、
うん、やっぱり田んぼのど真ん中で何もない。
用排水のための水路はあったと思うけれど、その線を確認するには別な地図を探さねばならない。
水車も近くにはない。ただ、この後見た前橋市の大正時代の地図には、市内にたくさんの水車記号が載っていた。駅のすぐ近くや、駅北の市街地にも、点々と。
前橋市は、水車との付き合いの深い街だった・・・?
うまく資料が見つからず、それ以上情報が入ってこなかったが、あとでもう少し調べてみよう。だって、スイシャジムが二台もある街だもの。
スイシャジムが他の公園にもないか、付近で3〜4つの公園を凝視したが、残念ながらそれ以上は見つからなかった。
おまけ。
前橋には色々とおもしろいものがあった。その一つ。「生川」。
もともと、地図上の交差点名で見つけ、気になっていた。
わたしのペンネーム「なま」に関するものには、ついつい近寄ってしまう。
残念ながらこれは「うぶかわ」であるが、生とつく川は珍しい。
公園名にもなっている。
しかし現役の川の名前を調べてみても、「生川」は出てこない。郷土資料的なものに、「この辺りに生川が流れていた」とさらっと書かれているが、地図には名称の記載がない。
生川交差点から最も近い水路は、これ。
この写真の奥で暗渠になって、
道路の下をボックスカルバートで抜けていき、
幅広歩道の下になったりしながら、
コンクリ蓋の継ぎ目がわかるものの、アスファルトに擬態して進む。これは暗渠の姿としてかなり珍しい。
水門も、極めて目立たないようにしているからおもしろい。
なんだか、電線の地中化みたいに、そこにあるはずなのに兎に角存在感をかき消されている。
この上流は、開渠となって両毛線をくぐり、馬場川まで遡る。
この水路が、生川なのだろうか?
前橋市史には、この水路は矢田川と書いてある。
結構、川としては平凡な名前だ。一本西の「風呂川」の方がそそられる。のはいいとして、矢田川が生川という別称をもっていた、という記載は今のところ見つけていない。
というわけで、生川についても謎のままである。
後日調査をすることにし、今回はまずは、2回目の「スイシャジムを探す旅」を無事終えられたことの報告としたい。
田んぼがあり水路があり、水車が回っていた場所の近くに、いまもスイシャジムがあって、そこで子どもが遊んでいる。群馬のスイシャジム2台は、特に水路や水車の存在を近くに感じるようなものだった。
教えてくださったニノニノコさん、けんいちさん、そして間をつないでくださったアプリparkfulさんに、改めて感謝申し上げます。
また次なる旅に、行けますように。
後日追記:
羽田のスイシャジムについて鮮やかに「特定」「検証」をしてくださった駅からマンホール(白浜)さん、今度はスイシャジムが載っている資料を見つけてくださった。昭和52年発行の雑誌「月刊教材教具」(東亜通信社)、29巻1号である。資料に関しては自分も調べつくしたかと思ったが、これは検索に引っ掛からない類のもの。たぶん、白浜さん1ページずつ読んでる・・・!(何を調べていたのか、気になる〜笑)
国会図書館の個人送信で見られるので、自分も確認。
保健体育科のページに、日都さんの遊具が複数載っていた。「日都の丸型安全ブランコ コマ16」「日都のベンチ コヘ18」、そして「日都のキャッスルジム」には「4塔式キャッスル」「5段サーキラーキャッスル」「オーバーキャッスル」最後に「スイシャジム」!!
スイシャジムの特長として、「水車を遊具にデザインしたもの、子どもが興味をもつ」と書いてあった。他の遊具の説明が、形や素材に関することで終始しているのに、スイシャジムだけ「子どもが興味をもつ」。
当時、小学校にスイシャジムを設置し、水車の説明までした先生がいたりしたら、すごく、良いなあ。昭和51年〜53年の短期間しか掲載はなかったようだけど、そんな記憶も、どこかに残っていたらとてもおもしろい。
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